いつも眠たい

bed is heaven

仕事やめて

いつになったら私は生きている感覚を持てるんだろう

 

思い起こせば、ミャンマーに行った時以来生きている感覚を味わっていない

 

失恋で泣いたのも、退職で泣いたのも、私の精神の川を多少氾濫させただけであって

 

単なる台風ごとき

 

川底の地質が変わるまでの変化はない

 

 

8月からの留学で多少地質は変わるだろうか

 

 

地質が変わって、人生の地層が積み重なり色とりどりになるといい。

 

帰国したら

早々に就職してまた病を闘う人と関わり、助けになりたい

 

私にはそれしかできない

やりたいこと

 

多すぎて取捨選択できない…

 

来年1年ワーホリ行くとしたら私は独身街道まっしぐらだーーーーーー

 

まあでも1年も行きたくないよな

海外に行きたいわけじゃなくて英語学びたいんだから。゚(゚´ω`゚)゚。

 

 

海外派遣Nsも言語聴覚士も産業看護師も気になって、それ以外にも楽しそうなことがたくさんあって、選択が難しい🤧

この先

2013〜2017年と、4年間看護師として勤務していた病院を辞めた。

 

脳神経外科 泌尿器科 眼科がメインだったけど、神経内科 消化器内科 外科 呼吸器科 循環器内科等々の患者さんも入院することがあって、多くの疾患の学習機会を与えられ少しは成長できたかな〜どうだかなあ〜〜〜。゚(゚´ω`゚)゚。

 

1年目からプリセプターはじめ沢山のスタッフに支えられて、やっと少しずつ恩を返すことが出来てたかなあと思い始めたところで申し訳ない気持ちを持ちつつも…

 

この先に目指すものを考えたときに、勤めてた病院では現実化できないことと、慣れがあって緊張感が持てず仕事がルーチン化しているように思ったことが辞めるに至った大きな理由。

 

それにしても、ルーチンと感じられるまで成長できたのは、周囲のスタッフに教育してもらい同期と切磋琢磨し合い、たくさんの人に支えてもらったからであって、甘やかせてくれた方々には心底感謝している…。゚(゚´ω`゚)゚。

 

今後は、短期留学して病院再就職後も英語の勉強を続けて海外派遣Nsを目指すっていう志があったけど、仕事を辞めて考える時間が多くできたからか、それだけでもないよなあと思い始めた

 

① 言葉のリハビリ、嚥下のリハビリをする言語聴覚士

脳出血により失語障害が生じた患者さんの、話したくても話せない状況は歯がゆくて、でもそのとき自分にはたくさんの残務があって深く関わることができなかった。きっと十分に、当人の伝えたいことを汲み取ることができなかった。

脳外の先生は生じた障害よりも、もちろん原疾患の治療を優先するから臨床ではそこをフォローする力が欠けている。

なにも障害がない人には当たり前にできている聞く→理解する→発言するという過程を学んで臨床で役立ったり失語の人とその家族のフォローができればなあと思う。

 

②病気をしていない人達や働いている人達の予防医療、健康を支える産業看護師(企業の健康相談室や医務室の看護師)

まずおじいちゃんおばあちゃんに多いけど自分の健康なのに【先生にお任せします、先生が全部知っているでしょう】という先生任せの患者さんは多く存在する。当人がよければいいのだろうけど、それで何か起きた時、患者権利を振りかざす人も、たまーにいる。

日本医療はアクセスフリーだし、いつ怪我病気をしても病院がなんとかしてくれると思いがちだけど、そうではなくて自分の健康は自分で守る啓蒙活動や喚起ができればなあと思うことがある。あとは企業戦士のような人達の健康を守れればなあ。まあ実際保健師免許もってないから公衆衛生的な話は全く知らん。゚(゚´ω`゚)゚。笑

 

③これは何かきっかけがあったわけではないけど、親を亡くした子どもや親の都合で不幸を背負わないといけない子ども達の役に立てることはないか。

 

並行してやることもできるかな?

学校にまた通うとなるとすごくお金も時間もかかるけど、全部面白いよな。

年齢に伴うライフイベントも対処していかないといけないだろうけどಠ_ಠピエー

 

でもこうして選択肢を多く持ってなにを選択するかでこの後が変わっていくし出会う人も変わってくるんだろうから不思議だよなあ。