家族と患者
一生をがんばって生き抜いて、死んでいった人たち
死に行く過程のなか、関わらせてもらった私
最期の大切な時間
亡くなり、家族に死亡時刻を伝える先生
患者を真ん中にして、取り囲み、泣き、存在を確かめるように申し訳なさげに患者に触れる
そんな中でも頻繁に鳴るナースコール
本当はもっとグリーフケアがしたいと思う気持ち
患者家族のその後だって知りたい、亡くなった方の家族が、少しひと段落しましたってステーションに声をかけてくれると本当に嬉しい。
稀に、後を追ってしまう家族もいる
患者を真ん中にして、患者家族、医師、コメディカルはチームだ
本人に一番近かった、チームのように関わってきた家族の訃報を聞くと、胸の底がえぐられる
その人にとってはそれが一番の幸せなのかもしれないから、一概に否定はできない
会えてるといいなと思う
いつも私は
私は普段すごく明るく、よく笑う
周囲を笑わせることが割と好きだ
あとプレゼントしたりお菓子を作ってあげたりするのも好き
関わる人には、人当たりがいい、看護師だろうと思った、ていねいでがんばりやさん、ふわふわしてる、変わってる気がすると言われる
こわい先輩にはふわふわしてるところを直せって言われたりして相当に困った。
自分で思う自分は、
怠惰←この一言に尽きると思う。
言うことやろうとすることは一丁前で、実践的行動がなかなか伴わない
25年も付き合えば分かりきっている
小さな頃から宿題も大嫌いだった
夏休みの宿題は8月31日に終わらせるか、終わらないものはやったけど忘れました方式で9月1日にやっとのことで終わらせ2日に提出した
このやったけど忘れました方式は実にずるい
こうした小さなずるが歪になって、自分の人生に大きく影響を与えていると思う
まあいいやを積み重ねることはやめて、自分で自分を成長させなければ
算数数学のような公式を覚えるのも嫌いだった
英語はかっこよくて好きだったしECCと通信教育をやっていたのもあって理解が進みやすかった
国語は塾の先生に鬼のような現代文を強制的に大量に問かされて成績が飛躍した
私は強制的に何かをさせられる環境でないと恐らく成長しない
自らすすんで行えたのは好きなダムの動画を探すことと、深海魚の生態を知ることくらいかな
あとは雑誌や本を読んだりそんな感じで。
いまさら
日常に疑問持ちつつも持っていないふりをして過去にも戻れず現状のままでもいれず、少なからず何かが起きてこれから先も生きていかなきゃいけないのこわすぎィィ
純粋に思っただけだった
誕生日おめでとうと言ったら、私の苗字にさん付けで〇〇さんもお元気で、と言われた
四年感をなかったことにしたいわけではなく、単純に四年も共にしたしお互い分かりあってたはずだから、これからだって存在さえは認めていければと思ったんだけど
友達には一生戻れないんだなって
人間関係の終焉だ
何を迷う
好きじゃないのに会ってしまうのは保険だ。
私にはない世界を持っていて、違う世界を見せてくれる人ではある。
尊敬する、けど、イコール好きにはならないものだな。
私は一人で生きていくのが一番なのかもしれないな。
誰も傷つけず、パートナーを持たず。
人と付き合うことに本当に責任が持てない。
早く楽に
やりたいことすべてやって早く死にたいな
先に逝った人もたくさんいるわけだし。
また再会できるといいな。
納得して死にたいなー